山内繁樹

(昨年6月、寄席を開いてくれた日の記念撮影。上段右から3番目が私です。)
 
京子さんとの出会い
私が京子さんと初めて出会ったのは、日本中がコロナ禍で大騒ぎだった令和2年の春の終わりごろだったと記憶しています。 私の友人から、「京子さん一家と遊びに行って農作業も手伝ってみたい、いいか」と尋ねられ承諾したことから始まりました。
わが社は米を主体に生産と販売をしている会社なんですが、トマトも栽培販売をしていて、農作業も手伝ってみたいとのこと。女性でも手伝っていただける作業もあるのでどうぞって事になったわけです。
聞けば、本業は講談師。東京を中心に活動されていたのを、地方に活動拠点を移されて地方から芸能活動を発信していこうと移住先を探し、その活動の拠点を山口に選ばれたとのこと。 わが社は 、とても余分な人を雇用できる状態ではなかったのですが、なぜかこの話を聞いた時は「おいでよ」と言ってしまいました。
そして初めてお会いして挨拶を交わした時のことは、今でもなぜか鮮明に覚えています。
当時猛威を振るっていたコロナのせいももあって、マスクはしておられたと思いますが、彼女の眼からあふれてくる微笑みには、それが長年培ってきた芸の中から生み出されるものなのか、彼女のもって生まれたものなのか、知る由もありませんが、何か人を引き付ける魅力のようなものをを感じました。 それから時々来られるようになって、作業を手伝っていただくようになりました。
ところが、その年わが社は猛烈なウンカの被害にあってほとんど全滅、収入もほとんどなく、翌年の秋の収穫まで、まるっきり借金の経営を続けることとなったのです。 それでも、その年の年末には、毎年恒例で行っている餅つきの会場の隅に作った高座で講談を聞かせていただきました。
それからどれくらいたってからでしょうか、当社の借りている田んぼの持ち主の家が、すぐ近くで空き家になっているのを見て、「綺麗にしてみんなで使えるようにしたい」、また彼女の活動の拠点の一つにしたいとのことでした。 最初は、業者に頼んでリフォームしてもらうつもりだったみたいですが、業者に頼むとお金もかかるし、みんなでやろうという事になり、みんなで協力して自分たちでリフォームすることになりました。
天井張り替えたり、ペンキ塗り換えたり、古い障子を持ってきて立て付けたり、屋根を補修したりみんなでリフォームしました。
今は ”ぼうぼう庵” として、いろんな活動の足場として使用したり、京子さんも時々高座を、たまには彼女の知り合いの芸人さんを連れてきていただいて、我々に楽しい時間を提供していただいています。
そのころから、テレビにも出演されたり仕事も増えてきたみたいでわが社へのご来場も少しづつ減ってくるようになりました。
その後は、仕事も順調なようで、今では日本中を駆け回っての活躍、それから長門市輩出の詩人 ”金子みすゞ” を題材に取り上げていただいたり。最近の活躍、私も本当にうれしく思います。
あの人懐っこい目と人を引き付ける微笑みとを武器に、芸にもますます磨きを掛けていただき大いに活躍していただきたいと思います。そして年末には、またみんなでお餅つきしましょう。
 
山内農園株式会社 代表取締役 山内繁樹